【校長室より】自分の行動で

 砺波市の商店街の一角に、ある老舗のお菓子屋が立っている。銀行の前に構えるそのお店のお母さんと娘さんが作る鯛焼きは美味しいと評判で、昭和の時代から市民に愛されてきた。僕も小学校の時に友達とよく買い食いをしたものだ。

 先日、何十年ぶりに立ち寄って注文すると、案の定、新聞紙に包まれて鯛焼きが出てきた。このスタイルも50年以上変わっていない。懐かしい。勇気を出して声をかけてみた。

「お母さん、覚えとっけ?中村やけど。」

「あー。あー。あんたけんちゃんやなけ。」

 たぶん、80歳をとうに超えておられるはずなのに恐るべき記憶力である。

「砺波高校の制服、きりっとして可愛らしいなけ」

「いつも二つの大きい荷物(たぶん勉強用と部活動用?)抱えて自転車漕いでくなけ。頑張っとるね」

「顔見知りの子も、そうでない子も、店に来たら挨拶してくれるがね、いい子達やわあ」・・・涙が出た。

 

 最近改めて思うのは、こんなにも地域の人達に愛されている学校はそう多くはないという事だ。伝統は守るべきものと時代に合わせて変えるべきものがあるが、先輩達と今の君達が築いている「地域に愛される学校」という伝統は、これからもずっと大切にしなければならないものであろう。

 この夏、多くの生徒達が、授業や探究活動で、学校行事や部活動で、委員会やボラティア活動で、地域に飛び出し、地域の人々と触れ合い活動していたことが何よりも嬉しい。

 

 日本財団では、「日本の若者が何を考え、何を思っているのか」をテーマに、2018年から「18歳意識調査」を継続的に行っているが、そのデータからは、アメリカ、イギリス、中国、韓国、インドの他5カ国の若者との意識の違いが如実に表れている。

 質問の一つである「自分の行動で国や社会を変えられると思うか」に対してYESと答えた割合が、日本は6カ国中断トツ最下位で45.8%という結果だった。(中国やインドは80%を超えている)

 近年、本校が力を入れている探究学習や地域と連携する様々な取組は、自分の力で社会をよりよくしようという心を養ってほしいという願いが込められている。砺波高校を卒業した生徒達が、将来多くの人達の支えになっていくことを楽しみにしている。

             学校長 中村謙作

【校長室より】部活動について思うこと

 昨日で県高校総体が終了しました。あちこち応援に回りましたが、本校の生徒達はどの競技においても大健闘していました。

 この大会で部活動を引退した人もいるでしょう。3年間よく頑張りましたね。自分を思い切り褒めてあげてください。同時に、両親や仲間や顧問の先生方のおかげで充実した活動を続けられたことに改めて感謝して欲しいと思います。

 一方、この後の大会やコンクールを控え、まだしばらくは部活動を続ける3年生もいることでしょう。これまで以上に文武両道の精神を強く持って頑張ってください。そして最後まで青春の炎を燃やし続けて欲しいと願います。

 先日、ある二人の3年生と放課後に井戸端会議?をする機会がありました。たわいもない話で盛り上がる中、彼女達の所属する部活動について日頃どのように思っているかを聞いたところ、次のような答えが返ってきました。

「自分が部を必要とし、部も自分を必要としているのが理想だが、私は部にお世話になっているとしか思えないので感謝しかない。」

「顧問の先生方や部員達に真心をもらい、日々人間としての在り方・生き方を教えられている。これからの自分はこうありたいと考えさせられる機会が多い。」

 おそらく他の部員も同じ気持ちなのでしょう。彼女達は、部活動を通して、人間として大切なものを学んでいると思います。

 

 今の社会はどこか歪んでいる部分があり、うまくいかない時に自分を省みることもせず、すぐ他人のせいにしたり、組織に責任を押しつけたりする風潮があります。感謝よりもエゴイズムが優先してしまう社会に明るい未来はあるのでしょうか。

 学校教育における部活動の果たしてきた役割を決して侮ってはいけません。戦後、平和な日本において、モラルを獲得し人間形成する上で役に立ったのは、「宗教」や「部落」や「道徳の時間」などもありますが、「部活動」というものを通して学んだ若者は実に多かったのではないでしょうか。

 彼女達が感じている部活動の経験は、大人になってからも微かな砂金としていつまでも残り、時には手に取り、忘れかけていた己自身と真実を見つめ直すものだと思うのです。

(学校長 中村謙作)

【校長室より】第5回海外研修を終えて

最近旅をしても旅をした気にならないと言う日本人が増えている。

スマホで案内される観光&グルメスポット。

どこに行ってもある安心の大手チェーン店。

ホテルのフロントではAIが親切に迎えてくれ、交渉しなくても現金が無くても黙ってカードで支払える。

安全かつ無駄なく旅の目的を達成する。

でも物足りない。思い出が薄い。

 

理由は明白で、旅に出ても人との出会いが少なくなったから。

その土地に住む人の生活に触れ、気持ちを共有する機会がなければ、新たな価値観も生まれないし、新しい自分を発見することもない。

これでは世界の何処に行っても得るものは少ないだろう。

国際化と情報化が加速する時代において世界は近くなったが、実はいつまでも世界は遠いままなのである。

 

そこで、今回の海外研修で掲げた目標は、

なるべく多くの人と直接話し、触れ合うこと。

様々な人の立場や思いを受け入れ、その上で自分に何ができるかを考えること。

つまり本当の意味での「多様性」を理解して、自己の生き方を探究すること。

 

旅行の期間、引率の先生や添乗員の方から送られてくる写真やレポートを見るのが楽しみだった。

St John’s Anglican Collegeでの授業。

Hills International Collegeでのプレゼンテーション。

南クイーンズランド大学やモートンベイ海洋研究センターでの見学やセミナー。

ホームステイ先でのホストファミリーとの生活。

生徒達は、どの場所でも、積極的に現地の人と触れ合い活動している様子がよくわかった。

研修の意義をしっかりと理解してくれていることが嬉しかった。

約1年前、コロナ感染症の影響がまだ大きく残る中、4年ぶりに海外研修の実施を決めたが、予定通り実施することができて心からよかったと思う。

 

引率をはじめ、準備の段階から懸命にお世話をしていただいた先生方に深く感謝します。

オーストラリアへの旅によって大きく成長した生徒達。砺波高校に新しい風を、新しい発見をもたらしてくれることを期待しています。

 

            学校長  中村 謙作

【校長室より】卒業式の日の空

 昔から卒業式の日の空が何となく好きで、春草の香りと野鳥の囀りに包まれる中、門送りの時などに空を見ていると、未来に向かってどこまでも歩いていけそうな気がするのです。これから先どんな人と出会うことができるのかと、この歳になってもワクワクした気持ちになるのです。

 本校の同窓生はおよそ二万三千人。この学び舎から巣立っていく時、皆それぞれどんな思いで空を見ていたのだろうかと考えると、無性に愛おしくなります。少しでもその気持ちに近づきたくて、先日松鷹会館の倉庫から古い生徒会誌を引っ張り出してきました。

 記念すべき第1号は大正五年に発刊されています。当時は卒業生からも多くの原稿が寄せられ、在校生と卒業生の繋がりを深く感じさせるものになっています。その後暫く続くわけですが、昭和十年頃から戦地からの寄稿が増え、昭和十三年からは志那事変戦没者の名簿が掲載されるようになり、昭和十五年の第二十五号を最後に旧制礪波中学校時代の発刊は途絶えています。この頃は学校行事や部活動の記事が細々となる中、文中には「勝つ」とか「耐える」などといった言葉が多く使われています。迫り来る戦争を前に、生徒達には果たしてどんな空が見えていたのでしょうか。

 砺波高校としての第1号は、日本が新しく生まれ変わり経済復興最中の昭和三十年に発刊されています。旧校舎焼失後現在の地に移転し、新校舎で学んだ初めての卒業生によって作られたものでした。戦前とは打って変わり「思想の自由」「健全な発展」「自分らしい生き方」などの言葉が多く使われており、希望にみちた生徒達の表情が浮かんできます。その中で二学年の生徒が書いた「生きる喜び」という論文にふと目が留まりました。

『三月一日、ビキニ環礁上の一発の爆弾は無心に遠洋漁業に出かけた無辜の漁師達に原子禍を浴びせ、今日なお病床に横たわっている人達を思う時、私は叫ばすにはいられません。戦争よ、永久に此の地上より姿を消せと私は絶叫したいのです…』

 この言葉には、第二次大戦後も冷戦状態や核実験等が続く中で、せっかく掴んだ生きる喜びを手放したくない気持ちが溢れ出ています。他にもこの頃の会誌には、平和を希求し、世界中の人達と繋がりたいという生徒達の強い意志を感じます。

 感染症、各地で起こる紛争と災害、広がる経済格差、Society5.0の影。現在は、もしかすると当時よりも危険な状況にあるのかも知れません。だからこそ、これからの時代は多様性を身につけること、つまり様々な人の立場や思いを受け入れ、その上で自分に何ができるかを考え行動することが重要なのです。人々と繋がりたいという純粋な思いが必要なのです。

 僕が座右の銘としている格言の一つに「桃李不言 下自成蹊」があります。「桃や李の下にはおいしい実を取るため人が集まり自然と小道ができるように徳があれば自然と人が集まってくる」という意味で、司馬遷の著書史記の中で漢の将軍である李広を讃えた言葉です。李広は決して偉ぶることなく、部下達と共に食事を楽しみ、よく話を聞き、自分よりも先に配下の者に恩賞を与える人物だったことから、たくさんの人が自然と彼の下に集まってきたそうです。

 高校会誌第二号で「友情について」という随筆を寄せた女子生徒がいます。偶然にも同じ格言を引用して、人の絆を育むためにはどうあるべきか自らの主張を展開していました。彼女は続けてこう述べています。

『友を得る唯一の方法は自ら人の友たるにある』 この精神こそが、遠い空の下にいる世界中の人と繋がるための最大の秘訣なのかも知れません。

 

令和六年三月一日  校長 中村謙作

大正五年 礪波中学会誌第1号

昭和十五年 中二十七回卒業生

昭和三十年 砺波高校会誌第1号

【校長室より】「声の出番だ」 ―砺高祭に寄せて―

 表題の言葉は、今年のインターハイのキャッチフレーズです。この夏、富山県選手団の団長を務めることになり、北海道各地を回って選手の応援をしてきました。どの競技会場にも、躍動する高校生の写真とともに「声の出番だ」という言葉が刻み込まれているポスターが何枚も張ってあり、とても印象的でした。

 この言葉には、コロナ禍で過去3年間、十分な活動や応援ができなかった背景があります。ただ「声」というのは、単に口から発せられる音声だけを指しているわけではないでしょう。おそらく日本中の高校生に向けて、「声の出番だ」の一言の中に、「自分の思いや夢を表現しよう」という激励のメッセージを込めたのだと思います。

 人生において、自分の思いや夢を表現することはとても重要です。何故ならば、そうすることが次のステップへの努力につながるからです。表現の仕方は人それぞれであり、たとえば、声による表現もあれば、文字や絵による表現、体や道具を使っての表現など、様々で自由なのです。上手、下手はどうでもよくて、表現することによって誰かと気持ちを共有することが大切なのです。

 今週行われた砺高祭は、まさしく砺波高校生の「声の出番」でした。仲間と一緒に思いや夢を表現する喜びに溢れていた2日間でした。将来、幾つになっても、自分の思いや夢を素直に表現する、そして誰かが表現したものを素直に讃えてあげる、そんな人間になって欲しいと願います。